木村正博事務所木村正博事務所

リーダーシップが苦手な「先生と呼ばれる専門職経営者」専門:「コミュニケーション」×「心理学」実践講座

問題は問題だと思っている人の中で起きている。

個別サポート(コーチング)の9ステップ(問題解決編)
問題解決の糸口を見つけるヒントでは、
「状況を問題だと捉えるタネはクライアントの中にある」というお話をしてきました。

この辺りをもう少し突っ込んで解説してみたいと思います。

ここでは、私の中にある小さなタネを5つ、題材にしたいと思います。

コーチをしている身でありながら、問題を抱えている自分をさらけ出すことになるので、
少し恥ずかしいですが、行ってみましょう!

1.自転車は左側通行でしょうが!!

私は、自宅から最寄駅まで自転車で移動します。
その他、近所での買い物や用事のときにも、自転車で移動することがあります。

自転車移動するとき、私は「自転車は左側通行」を守ろうとしています。
道路交通法的には正しいことです。

ところが、右側通行をしてくる対向自転車と出会うことがあります。
私が「自転車は左側通行」にこだわっているので、
右側通行をしてくる自転車を鬱陶しく、邪魔に感じます。

ときには、「自分の方が正しいのだから、絶対に譲らないぞ」と思うこともあります。

「自転車は左側通行だろ!」と心の中で叫びます。
声に出して叫ぶほどの度胸はありません(^^;)

  • この仕組み、分かります?

この際、道路交通法的に正しいか、そうでないかは問題にはしません。

つまり、右側通行している自転車に

  • 「自転車は左側通行だろ!」と言いたいのは、
    自分自身にも同じことを言っている、言いたいからなのです。

もし私がもう少し柔軟な考え方をすれば、

  • 「右側を走る必要があるときもあるよね」

と許せるのかもしれません。

もっと言うと、私が「自転車は左側通行」に全くこだわっていなかったら
そもそも、右側通行をしている自転車を気に留めることもないでしょう。

一方、右側通行で走っている自転車の主は、
「自転車は左側通行」に全くこだわりがないから、右側通行をしているワケです。
そして、「自転車は左側通行でしょうが!」とも思っていないワケです。

私にとっては、右側通行する自転車は邪魔で、鬱陶しくて、心をザワつかせるモノですが、
他の人にとっては、全くそんなモノではないのです。
ましてや、右側通行する自転車の主にとっては、・・・。

ということで、私が、右側通行する自転車が問題だ思うのは、
私の中に「自転車は左側通行」というこだわりがあるから
ということが分かっていただけたでしょうか。

もう一度言いますが、道路交通法的にどうか、
という視点は抜きにして話していますからね。

この事例は、私の人生に大きな影響を及ぼすほどのコトではありません。
自分の心の動き、その仕組みを考えるのに良い題材だと思っています。
現に、ここでネタにしているくらいです(^^)

2.音を立てて食べないで!

私は、音を立てて食べるのは行儀が悪いことだと思っています。
なので、自分は音を立てて食べないように気をつけています。

これは、親の躾により身に付いた考え方だと思われます。
子どものころに、親に注意を受けながら身に付けたモノです。

それなのにあの人は、何も気にせずに、音を立てながら食べることをしている。
不快だ。許せない。
ということになるのです。

自分がしないように気をつけているのに、それを平気でやっているのが許せない。

そう思う裏には、

  • 「本当は自分もやってみたい。」

という思いが隠れているのが分かりますか?

  • 「イヤイヤ、あのクチャクチャ食べる音は不快の他の何モノでもないでしょ!」

と思うかもしれません。

しかし、そもそも「音を立てて食べるのは行儀が悪い」と思っているのは、
親の躾によるものです。
親がその躾をしていなかったら、私はそういう風には思っていなかったかもしれません。

あの音が不快というのは、親が刷り込んだ価値観です。
あの音自体には、もともとは、快も不快もないのです。
単なる音でしかありません。

そこに、「行儀悪い」「不快」という意味付けをしているだけなのです。
その意味付けは、ほとんどの場合、自分がしたのではなく、親からの刷り込みなのです。

このことが分かっているからといって、
私にとってあの音は不快の他の何モノでもない、というのは変わらないのですけどね(笑)

3.鼻はすすらず、かんで欲しい。

アレルギーの季節と風邪が流行る時期に、特に気になることがあります。

それは、鼻をズル、ズルとすする音です。
ご本人は鼻が出て辛いのでしょうけれど、私は「鼻をかんだら?」と思ってしまいます。

鼻から入ってくる、身体にとっての異物を洗い流すために鼻水が出るのです。
それをズルっと吸い込んで、身体の中に留めることに何の意味があるのでしょうか。

特に、風邪で鼻水が出ているとしたら、鼻水の中には風邪のウィルス、菌がいることに
なります。
それを体内に留めるということは、そのウィルス、菌を飼っているようなモノです。
治るモノも治らないような気がします。

それに、絶えず流れ出てくる鼻水を吸い込むのって、案外体力を使っています。
そんなことに体力を使うより、風邪を治すことに使う方がよっぽど良いようにも思います。

そんなことを考える私は、鼻水が出たらすぐに鼻をかむようにしています。

あ、一度、英会話のネイティブの先生が、鼻水をすすっている生徒にティッシュを
渡しているのを見たことがあります。
欧米人にとって、鼻をすする音は不快な音なんでしょうね。

最近、ヌーハラ=ヌードル・ハラスメントといって、
麺をすする音が不快だというのが話題になっています。
欧米人には麺をすする音が、鼻をすする音に聞こえて、不快だからなんだそうですね。

話が逸れたので、戻します。
そういうことなので、私は知人や友人であれば、「鼻をかんだら」と提案します。

そうすると、こんな返答が返ってくることがあります。

  • 「かんでも、出ないから」
  • 「かんでも、すぐまた出て来るから」

これに対して、私は、

  • 「かんでも、出ない」なら、ズルっと吸い込まなくても出てこないから、
    すするのやめて。
  • 「すぐまた出て来るから」といっても、しばらくは治まるでしょ。
    その間は楽になるよ。

と言い返します。

それから、女性は「鼻をかむ音が恥ずかしい」ということを言います。
それもそうかもしれませんが、何度も鼻をすする音も相当恥ずかしいと思うのですが。

と、このように、鼻をすするのか、鼻をかむのか、
これだけのことが書けてしまう私って・・・

相当、「鼻はすすらず、かむ」ということにこだわりを持っている証拠です(笑)

4.大きな声で話せません。

私は、電車の中やお食事処など、周りに他人がいるところで大きな声で話すことが
できません。
そして、普段から、小さな声で話すクセがあります。

なぜなんだろう?
と疑問に思い、分析したことがあります。

私は、電車の中やお食事処などで、大きな声で話している人がいると、
その話の内容を聞いてしまいます。
ときには、勘違いや思い込み、明らかに間違っていることを、正しいことのように
話している人がいます。
そういうとき、失礼ながら、私は「あの人、バカだな〜」と思ってしまいます。

その私の思いが、ブーメランのように自分に返ってきているのです。

私が、大きな声で間違ったことを話している人を「バカだ」と思うように、
周りの人も、私のことをバカだと思うのではないか。
いや、思うだろう。
バカだと思われたくない。

その思いが、自分の話が周りの人に聞こえないように、小さな声で話させているのです。

会話の相手にも聞こえないことが多いので困ったモノなのですが(>_<)

これは、問題としては、少々実害もあるので、何とかしたいとは思っていますが、
まだ解決できていません(^^;)

5.自分から話しかけられません。

私は、人が大勢集まっている場所(パーティやセミナー会場など)で、
初対面の人に自分から話しかけることができません。
だから、私は自分は「人見知り」なんだと思っていました。

この原因を探ったことがあります。
子どものころの以下の経験が原因ではないか? というところまでは突き止められました。

私の両親はクリーニング業を営んでいました。
我々家族は、店舗とつながっている自宅に住んでいました。
なので、平日の日中でも、両親は家(店舗兼自宅)にいました。

子どものころの私(まだ幼稚園にも上がっていないころ)は、
親に遊んでもらいたいときや用事があるときには店舗に行っていました。

ところが、両親にしてみれば、仕事中なので、子どもの相手ができないときもあります。
そうすると、「後でね」と言われてしまいます。

子どもの私にはまだ、時間の観念が無かったのでしょう。
「後でね」の意味が分からず、そのときに相手にしてもらえなかったことが、

  • 「拒絶された」

と感じたのでしょう。

そして、子ども心に、

  • 「自分が話しかけても、相手にされないんだ」
  • 「自分が話しかけても、喜ばれないんだ」
  • 「自分が話しかけるのは、邪魔になるんだ」

ということを学びました。

もちろん、大いなる勘違いなんですけれどね。

そして、子どもの私は、自分が傷つかないように、

  • 「自分からは話しかけないようにしよう」

というルールを作ったのでした。

こんな「人見知り」の私なのに、セミナーの講師をすることがあります。
私がセミナー講師としてセミナー会場にいるとき、
セミナーが始まる前に、初対面の参加者に声を掛けるのは全く平気なのです。

何が違うのだろう? と考えました。

自分がセミナー講師のとき、参加者は

  • 私に会いに来ている
  • 私に興味はなくても、私が話すことに興味を持って、ここに来ている

ということが分かります。

だから、私は初対面の参加者にでも、自分から声を掛けることができるのだ、
ということが分かりました。

つまり、

  • 相手の意識が自分に向いていないとき、自分から話し掛けられない。
  • 相手の意識が自分に向いているとき、自分から話し掛けられる。

ということが分かったのです。

まとめ

「1.自転車は左側通行でしょうが!!」は、自分のこだわりよって、
自分がしないように気をつけていること。
それなのに、それを平気でやっている他人が気に入らないという例です。

「2.音を立てて食べないで!」は、親から刷り込まれた価値観によって、
自分がしないように気をつけていること。
それなのに、それを平気でやっている他人が気に入らないという例です。

「3.鼻はすすらず、かんで欲しい。」は、自分が作ったルールによって、
自分がしないように気をつけていること。
それなのに、それを平気でやっている他人が気に入らないという例です。

「4.大きな声で話せません。」は、自分が他人に対してするジャッジを、
自分も他人にされてしまうのではないか、ということによって、
自分ができなくなってしまっているという例です。

「5.自分から話しかけられません。」は、子どものころの勘違いにより、
自分を守るために決めたルールによって、自分ができなくなってしまっている
という例です。

問題のタネが私の中にあるということが分かっていただけたでしょうか?

そして、私の中にある問題のタネを解決しなければ、登場人物が入れ替わったとしても、
同じ問題が繰り返されるということが分かっていただけたでしょうか?

今回挙げた例は、どれもそれほど重大な問題ではないので、

  • 「私の問題を、あなたのそんなちっぽけな問題と一緒にしないで!」

と思われるかもしれません。

今は、まだ、そのように思っていてもらっても構いません。
私のちっぽけな問題の場合には、
私の中にタネがあるということを分かっておいてくださいね。


★拙著
 「コミュニケーションの仕組み 解説書(自分自身とのコミュニケーション編)」
↓↓ 【発売中】 ↓↓


このサイトを気に入られたら、下記のいずれかの方法で更新情報を受け取ってください。

【RSS購読をする。】
「購読する」をクリックしてください。

ブログをメールで購読

【メール】で更新情報を受け取る。
メールアドレスを記入して「購読する」をクリックしてください。


【Facebook】で更新情報を受け取る。
このページに「いいね!」をクリックしてください。

【ameba】アカウントで更新情報を受け取る。
「読者になる」をクリックしてください。


-11 心理学